秩父鉄道

石灰石輸送
影森と武州原谷から三ヶ尻に向けて石灰石が出荷されている。発駅は曜日や時間によって切り替えられる。
影森
駅から南に分岐線があり、急勾配の先に秩父太平洋セメント三輪鉱業所のホッパーがある。

影森駅ホーム前で待機する空車編成。


影森駅の到着線を出て三輪鉱業所への勾配に挑む空車編成。

ホッパー手前まではデキが引き上げる。


デキを退避させ、元根岸のD502がヲキをホッパーまで引き込む。

積み込みを終えるとデキが後端に連結され出発となる。

勾配を慎重に下る積車編成。

影森駅で小休止ののち三ヶ尻に向け出発する。
武州原谷
大野原〜和銅黒谷間にある貨物駅。秩父太平洋セメント秩父工場が隣接する。かつてはJR線向けにセメントの出荷も行われていたが、現在は貨物駅としては専ら石灰石の積替拠点となっており、群馬県の叶山鉱業所からコンベアで運ばれた石灰石をヲキに積込み三ヶ尻の熊谷工場に送り出す。

到着した編成は着発線からデキ牽引で秩父方に引き上げ後、スイッチャーで寄居方〜ホッパーとジグザグに入れ換えられる。

スイッチャーでヲキ編成を押し込みながら5両ずつ積込みを行う。

積み込みを終えた編成は、到着と逆の経路を辿り着発線に入る。
このうち秩父方への引き上げはデキによる推進となるが、始動時のみスイッチャーが加勢しデキ+ヲキを突放する光景がみられる。


構内の主D304と本輪西から来た新鋭のDD512。
武州原谷〜和銅黒谷

武州原谷への勾配を駆け上がる空車編成。

荒川の支流である横瀬川を渡る。
親鼻〜上長瀞

荒川の本流を渡り、線路は右岸から左岸に移る。
上長瀞〜長瀞

長瀞

野上〜樋口

樋口〜波久礼

野上付近から谷幅が狭まり、波久礼手前では周囲が断崖絶壁となる。
波久礼


秩父鉄道では多くの駅が上下線に加え待避線や中線を有しており、列車交換や追い越しが柔軟に行われている。
波久礼〜寄居

寄居〜桜沢

小前田〜ふかや花園

寄居を過ぎると周囲が一気に開け平野の景色となる。
武川
寄居と熊谷の中間地点で三ヶ尻線が分岐する。機関車の運行上の拠点になっており、時折牽引機の付け替えが行われる。

武川〜三ヶ尻
武川を出た鉱石列車は熊谷方への本線としばらく並走したのち北に向きを変え三ヶ尻に至る。

三ヶ尻
太平洋セメント熊谷工場が隣接し、石灰石が到着する。

武川方から構内を望む。左にカーブした工場内に石灰石受入設備があり、入換や荷卸しの様子は伺えない。右側の線群はセメント荷役線と熊谷貨物ターミナル方への発着線だったが、扇町からの石炭の到着が終了し、JR線への接続が絶たれた今では使われていないようだ。線路を跨ぐ高架は上越新幹線で、工場の様子は新幹線の車窓からの方がよく見える。

到着するヲキ積車と荷卸しを終え折返し出発する空車編成。
広瀬川原

大麻生〜ひろせ野鳥の森間にある。貨物駅と称されているが実質的には熊谷車両区・工場へ出入りするための信号場の役割となっている。
機関車

デキ100
1951~56年製。当鉄道における戦後高出力機の嚆矢で1灯ライトを掲げている。自社発注機の102,103,105が残存している。

デキ200
1963年製。高運転台に2灯ライトの車体は以降のベースとなったが、当形式では特殊な台車を採用したことが祟り余剰廃車の対象とされ、201のみが残存し普段はSLの補機および回送用として使われている。しかし鉱石貨物を禁じられているわけではないようで稀に運用に就くらしい。

デキ300
1967年製で301〜303の全てが健在。デキ200を一般的な構造に改めたもの。車体はデキ200に似ているが前面の庇が無い。

デキ500
1973~80年製で501〜507まである最大勢力。前照灯が当初からシールドビームとなり、ライトケースが小型化され精悍な顔になった。503以降は前面窓が拡大され庇が復活、その他、機ごとにライトケースや尾灯などの差異がある。
かなえ食堂