総合車両製作所(横浜事業所)
線路区分と運行方法
総合車両製作所横浜事業所は京急金沢八景駅に隣接し、連絡線を介してJR逗子駅に接続している。工場と連絡線はもともと日本海軍によって開設され、戦後に東急、京急、米軍(日本大蔵省)の手に渡って現在の形になった経緯があり、施設の所有区分は下図のように分かれている。入出場に際しての運行方法は狭軌/標準軌と自走/牽引の4パターンに大別される。

金沢八景

総車出口のセクション


所有区分点


京急との分岐、保守区分点。直進すると京急のレール溶接作業場。


京急との分岐点。線路閉鎖による運行時に使われる承認表示灯170Rと線路閉鎖を行わずに金沢八景駅に進入する際に使われる入換信号機125R。分岐部分の転轍機は標識付きとなっているが、常時反位(総車方開通)とされている。
六浦

逗子方から見た六浦駅上りホーム。2011年に移線装置が設置され、狭軌車両はホームを避けて走行するようになった。 以前は狭軌線もそのまま直進しており、ホームが狭軌車両に合わせた建築限界で設置されていたため、京急車両の停車時には大きな隙間が生じていた。 移線装置の設置に伴い六浦駅は連動駅となり、上り列車は場内、出発信号機に従い着発する。

六浦駅通過動画
金沢八景〜神武寺間は7200系(元東急)+被牽引車+DD55(元神奈川臨海)のPPで運行される。運行中、7200系はパンタを上げて京急の架線を利用した通電状態となる。 逗子以遠が自走回送となるJR東日本車についても米軍池子線への押し込み時を除き通電状態で運行され、京急線内を自力で走行する。
所有者 形式 方向 形態 逗子以遠 発着駅 撮影
しなの鉄道 SR1系 出場 無動 甲種 屋代 210121
小田急 5000形 出場 無動 甲種 松田 200820
JR東日本 E235系(グリーン車) 出場(工場間) 無動 甲種 新津 200806
小田急 5000形 出場 無動 甲種 松田 200716
JR東日本 E233系 出場 通電 回送 豊田 200611
JR東日本 E531系 出場 通電 回送 勝田 200303
東急 6000系+3000系 入場 無動 甲種 長津田 190907
東急 5050系 出場 無動 甲種 長津田 190827
JR東日本 E531系 出場 通電 回送 勝田 190723
JR東日本 E257系 入場 通電 回送 尾久 190611
東急 3020系 出場 通電 甲種 長津田 190409
JR東日本 E233系 出場 通電 甲種 南古谷 190129
京急 新1000形 入場(工場間) 無動 甲種 兵庫 171226
東急 6020系 出場 無動 甲種 長津田 171226
京急 新1000形 入場(工場間) 無動 甲種 兵庫 161029
泉北 12000系 出場 無動 甲種 和歌山市 161029

神武寺


上りホームから八景方の狭軌線の合流を見る。この合流点や神武寺〜六浦間の1号トンネルには徐行信号機が恒常的に設置されている。 真偽不明であるがこれは狭軌線の存在により京急としての所定のカントが設けられないため、特別に徐行する扱いになっているという説がある。


狭軌線の八景方開通を示す承認表示灯170L。八景にあった170Rの相方。以前は三灯式の出発信号機であったが六浦駅への移線装置設置に伴い交換された。


同地点から振り返り逗子方を見る。架線終端までは余裕があり、八景からPP編成の後部に連結されてきた7200系はここで切り離されて待機する。


3番線末端の架線終端、列車停止標識、分界点と門。ここから先はJR逗子駅構内の専用線(米軍池子線)となる。
米軍池子線

逗子方から授受線への到着

日車で製造された京成3100形を牽引して逗子方からやって来たDE10。


逗子側の袋線を利用して機回しを行う。手前は京急逗子線の踏切で、米軍池子線には反応しないため遮断機が上がったままであり、係員が交通整理を行なっている。 DE10のいる線より奥は米軍池子住宅であり、星条旗が掲げられている。


機回しが完了したところ。


DE10が京成車を八景側の袋線に押し込む。京成車は狭軌の仮台車を履いている。手前の踏切は京急の列車に反応して閉じた状態となっている。


八景側の袋線に押し込まれた京成車。京急の終電後に、7200系+DD55により一旦総車へ搬入され、台車の振替えを行いオンレールで京成に向かう。DE10は単機で逗子方に帰る。


京急と分かれ横須賀線に合流する直前にある山の根第二踏切。


横須賀線に並ぶ地点。この地点から架線が始まる。


米軍池子線の起点。逗子駅への開通を示す入換標識、キロポストが設けられている。
逗子


総車で製造され、神武寺方からJR貨物DE10により牽引され逗子駅ホーム前にやって来たFV-E991系。このときは武蔵中原まで甲種車両として輸送されたため、川崎貨物までこのDEで牽引された。
関連年表
1938 池子地区に海軍軍需部池子倉庫が開設される
1941 釜利谷地区に第一海軍技術廠支廠が開設される
1942 池子地区(横浜市域)に第二海軍航空廠補給部谷戸田注填場が開設される
1943 東急湘南線金沢八景〜神武寺間に六浦荘仮駅が開設される
1943 金沢八景〜神武寺間が単線化され、旧上り線が省線逗子駅から釜利谷地区への海軍専用線となる
1945 池子地区が米陸軍に接収され池子弾薬庫となる
1946 釜利谷地区に東急興業株式会社横浜製作所が開設される
1948 京急逗子線金沢八景〜神武寺間が再複線化される(三線軌条による?)
1949 金沢八景〜神武寺間に六浦駅が開設される
1996 池子地区に米軍池子住宅が開設される(この頃、米軍構内の配線が整理される?)
2000 牽引車3001,3499が7052+7057に更新される
2008 牽引車DD555がDD5515に更新される
2009 牽引車7052+7057が7252+7254に更新される
2011 六浦駅に移線装置が設置され金沢八景〜神武寺間の連動装置が更新される
2012 東急車輛製造が総合車両製作所となる
私鉄要覧と専用線一覧表における連絡線の位置付け(1970)

昭和45年の私鉄要覧と専用線一覧表における逗子〜金沢八景 pic.twitter.com/I7OLYD3Em1

— k6ura (@k6ura) January 27, 2018

かなえ食堂