前面手動方向幕
700形のものとみられる前面手動幕です。

筐体(車内側)
 左下にハンドルがあり、半時計回りで順方向、時計回りで逆方向に幕が進みます。幕を1コマ進めるためにはハンドルを約4〜5回転します(巻き取り具合により異なる)。ハンドルの回転は下のシャフトにのみ伝わるようになっています。一方、上のシャフトはバネにより幕を巻き取る方向に力がかかっており、上のシャフトから降ろした幕を下のシャフトが引っ張ったり、戻したりすることで張りを保ちつつ表示を制御するようになっています。
内部に20形蛍光灯が付くようになっています。

筐体(車外側)
 幕の幅は71cmです。現在使われているバーコード式の幕は、表示領域の左側にバーコード領域1cmが追加されて計72cmとなっており、装着することはできません。検知穴式のものであれば付くかもしれません。
手動幕のため、筐体の上部には車体への取付ステーがあるほかは何も付いていません。(蛍光灯周辺機器が付いていた可能性あり)
幕の内容
上部余白
1.試運転 2.貸切 3.回送
4.川崎 5.新町 6.文庫
7.浦賀 8.久里浜 9.品川
10.逗子 11.逗子-八景 12.回送
13.三浦海岸 14.三崎口 15.新逗子
16.平和島 17.蒲田 18.横浜
19.上大岡 20.八景 21.堀ノ内
22.蒲田-羽田空港 23.川崎-小島新田 24.新逗子-八景
下部余白

 コマの順序は、以上のように現在でも800形、2000形でみられる線内用の電動幕と概ね同じ内容となっています。字体も英字無し幕として標準的なもので、方向幕黎明期のような変わった箇所はありません。一方表示領域の終端には、現在では「矢印方向へ巻戻す」という注意書きがありますが、この幕では「止」とだけ書かれています。方向幕の下端にはKoito 83-12と表記されており、1983年12月製造もしくは製版と思われます。電動幕でみられるSP12-256のような巻取器の機種を示す記号はありません。



 手動幕のため、コマ間の余白は最低限となっています。その後の検知穴式では、コマ間に非表示領域が設けられ、ここに検知穴が空いています。現在のバーコード式に至っては、検知穴はないものの、約1コマ分に及ぶ広大な非表示領域がコマ毎に設けられています。

謎(1) 新逗子について
 この幕の製造の2年後の1985年に京浜逗子、逗子海岸が統合され新逗子となりました。方向幕では、逗子、逗子-八景を新逗子、新逗子-八景に変更することとなりますが、この幕では両方が印刷されています。移行を考慮し、83年の時点で予め新表示を組み込んでおいたと考えるのが素直ですが、新表示のある15、24番の位置を考えると、15番は4〜14番の頻出表示と16〜23番の支線および非常用表示の境目、24番は全表示内容の最後であり、どちらも空白コマがあってもよさそうな感じがします。83年には空欄だったものに、後から新表示を加刷した可能性もあるのではないかと思います。

 一方、電動幕の場合は、15番を空欄としたまま最後の24、25番に新逗子、新逗子-八景を追加しています。その後、線内用電動幕は何回か改版されていますが、現在でも旧表示があった名残で10、11番は空欄となっています。手動幕では15番を新逗子としたことで、川崎や新町から新逗子に折り返す際の回転量が少なくて済むようになっています。むしろこの方が自然であり、どうして電動幕で新逗子が離れてしまったのかが不思議なくらいです。電動幕には23番以降に余白がたくさんあったのでしょうか?(設定器が39コマ用であることから予想)
謎(2) 搭載車両について
 この幕を搭載していた車両は、線内専用ということで順当に700形であると思われます。1000形については、方向幕搭載の初期には直通先の駅名不備があったようですが、83年にもなってこの内容では、1000形の性格上致命的です。また、手動幕でも前面窓の内側につり下げられていた車両は、寸法が異なるため除外されます。

 700形のうち、1000形特急に併結して使用される編成については80〜82年に冷房が搭載され(84年に1本追加)、このときに方向幕が電動化されています(後年でいう白幕車)。従ってこの方向幕は、このときに非冷房のまま残された車両が冷房化までの間に搭載しており、冷房化の際に巻取器と共に取り外された可能性が最も高そうです。

 しかし、かつては700形であっても、1000形特急への併結時は直通先の駅名を表示していたはずです。併結用編成は早期に冷房化されたとはいえ、残りの非冷房車は線内専用幕で充分だったのでしょうか?(分割駅を表示するようになった時期はどこかに記載されていた気がするが失念)
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